stoicのポケモンGBAメモ帳(二)

ポケモン第二世代、第三世代について主に考察するブログ。

2016年に書いたシンゴジラの感想が出てきた

~~2019年の追記~~
以下の文章はパソコンを整理していたら出てきた、シンゴジラ公開当時(2016年8月)に書いた感想文で、書いてみたら割とキモくて恥ずかしいからお蔵入りにした(気がする)ものである。
一応読んだら想像以上に長々と書いていて消すのも勿体ない感じなので、せっかくだからブログに上げておく。
シンゴジラに関しては最近、
Netflixで全編ノーカットで見られる
岡田斗司夫が当時有料チャンネルで話していた考察を無料公開している
等、いろいろコンテンツが出ているので気になる人はそちらも見てほしい。
特に見たこと無い人はぜひ本編を見てほしい。
この記事を公開するにあたって、文章には少し手を加えたり体裁を整えたりしている。
無意味に長い記事なので注意。
~~以下、2016年の文章~~
シンゴジラ見てきました。
いや~よかった。最高でした。4回見ました。
※なぜか五回目も見た*1
全体として「おもしろかった。おわり」で済ましてもいい感じのシンプルなお話なんだけど、
どちらかというと僕は詳しい考察よりも素晴らしい映像を見て「良い・・・」って言いながら座ってるだけで満足なので映像作品は新しくて情報量が緻密かつ多いというだけでベスト入りするところはあります。

・観賞前のゴジラ観や展開予想
・観賞中に気付いたこと
・(観賞後に)考察や感想を読んで思ったこと

など書いていきたいと思う

ちなみになんで4回も劇場で観たかというと
・映画館特有のバカデカ音量とスクリーンで観ることで素晴らしさが増大していると思った
・地上波放送でカットされそうなシーン盛りだくさん
この2点が理由。

さあ君も劇場で石原さとみと握手!


~~鑑賞前(実はまだネタバレがない)~~~~~~
■公式発表の時に思ったこと。
昨日、近所のエヴァ公式HP行ったんです、エヴァ公式HP。
そしたらなんかアクセスがめちゃくちゃいっぱいで表示できないんです。
で、よく見たらなんか垂れ幕下がってて、『『シン・エヴァンゲリオン劇場版』及びゴジラ新作映画に関する庵野秀明のコメント』とか書いてあるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、ゴジラ如きで普段来てないエヴァ公式HPに来てんじゃねーよ、ボケが。
ゴジラだよ、ゴジラ
えっゴジラ庵野が作るの?なんで?は?は?あああああああああああ!????!io8h00j-?!?!??!?!??!?!?sだfしあjw0r@あwじぇあmぐぁpうぃ7にwjrq823mcq684g0q84あいおwjp0@あー2「」4pm0v92ptbhq-m9j3p4お@q;えrl、kmじゃういph904¥q-と^p、3ぼlmぴtj394いれじゃpv920@cみjtんうぃygq7d4せdrftgyふじこlp;@:
数か月後:
ぼく「そういえば庵野ゴジラ作ってるとか言ってたな、今どうなってんだろ。うつ病大丈夫かな。」

どっかのまとめサイト「タイトルは『シン・ゴジラ』」
ふーん、シン・ゴジラ。え、シン?は?シンエヴァはどうなんの?まさかゴジラエヴァぁ@0位tじゃぽう3p;t24お90j@pんby56b4w53g4w54え6rf7t68g7yh9-いk0おlp;:@ア9うぇうm0くぁwch-j^q、-『40tくぃう、24gc9qb、-t934@くぉtvk宇qty7w90q8f-9@vmqp024q、h03v8903t5おqt305hqt74q9t@いヴぉwfplv、芦田0wじぇー、@あ09こ。q-j4い90t^q-24@p,q09-tj8v73m7q-つ^340^c-q、0お4じthg5vb90t45hptrkyg69tw4

こんな感じであった。
僕はゴジラ好きだしエヴァも結構好きなので、どっちも中途半端にして近親相姦していくような感じの行い対して正直キレ気味を通り越して呆れてしまい、この世の終わりのような気持だった(大げさ)。

■タイトルの意味
で、その後は割と意識的に『シン・ゴジラ』については見向きしないようにしていた気がするのだが、今年の7月下旬に差し掛かって「来週シン・ゴジラが封切り」となったときに
「まあさすがに見ないとあかんよな」
と思った。
んでゴジラのホームページを見たら、
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「現実対虚構。」
(フリガナ:ニッポン対ゴジラ
こんな字がちょろっと書いてある。
これを見て「おっ」と思った。
「現実対虚構」というのは、様々な創作物において普遍的な一大テーマで、超古典SF『日本沈没』、『ベルセルク』さらには問題の『エヴァシリーズ』『ゴジラシリーズ』(というかガメラだのウルトラマンだの含めた特撮全般)などなども広く見るとこのテーマを大きく扱ったものである。
結局僕はこのテーマが割と大好きなのだ。
そういうごく当たり前のことを全面に押し出してくるというのはある種「おれは直球ストレートど真ん中剛速球の王道映画を作るぜ(全部同じだね)」という宣言でもある。そんなことを思いながら「シン・ゴジラ」(あとついでにシン・エヴァも)というタイトルについて考えていると庵野がシンをつけた意味が分かるような気がしてきた。

・シン=神について。
ゴジラエヴァも結局「現実対虚構」の物語であり、さらに言うとゴジラにおけるゴジラやその他の怪獣、エヴァにおけるエヴァ使徒たちは現実をぶち壊す神様、自然の摂理、地球が遣わした使者(ガメラやんけ)、新種の生物、まあなんでもいいけどそういったものであり、これらの襲来あるいは存在自体をどうしのいで日常と折り合いをつけていぐかという物語である。
ゴジラ映画の場合、ほとんどすべての回で「現実」が勝つ、あるいは、虚構が立ち去っていくという結末を迎える。
一方エヴァの場合、シンジさんが覚醒したりシンクロ率400%になった中盤あたりで現実側が神の力を利用せざるを得なくなり、そこをきっかけに「試合には勝ったが勝負に負けた」みたいな感じで最終的に虚構に現実が飲み込まれていく。
つまりエヴァシリーズは「現実対虚構」というくくりで観ると現実敗北のバッドエンド版と言える。
ちなみに平成生まれにとってはゴジラと双璧をなす(たぶん)平成ガメラ三部作においては現実は敗北している。
序盤は「ガメラ=やさしい虚構」と手を組むことでギャオスやレギオンなどの「わるい虚構」と戦ってたのだが、『2』の終盤でガメラが明確に人間の手を離れてしまい(勾玉が割れる)、『3』では虚構同士の戦いを現実=人間たちは茫然と眺める、あるいは利用されたり気まぐれで助けられたりぶち殺されたりする無力な存在でしかないという流れになっている。
ちなみにガメラ三部作の特撮部分の監督はシンゴジラと同じ樋口真嗣である。
ということは、庵野が作るゴジラでは、もしかすると現実が虚構に敗北するのかもしれない。
いやいやそれとも、ヱヴァQの反動としてゴジラを作っている(たぶん)庵野のすることだし大団円で「現実大勝利」で終わるのか?どっちなんだろう。。
・・・という感じで、考えているとどんどん楽しみになってきて庵野の思惑にはまっていた

・シン=新について。
「神」の話ついでにほかの「シン」についてもちょっとだけ書いておく。
もはや最近のオタク界隈の作品はオマージュをオマージュした場面をさらにオマージュした作品が出てくるようなオマージュの近親相姦みたいな状況であるため、ぶっちゃけエヴァの音楽くらい使うだろうしセリフや展開も絶対にオマージュの嵐だろうなと思ってそこは半分あきらめていた。
「古くて新しい」ものがよしとされるのはもう避けられない流れだろう。
まあゴジラはもともと60年前の作品だし・・・。
もともとエヴァだってウルトラマンのオマージュだし。
ところで節度あるオタクなら「巨災対ってねるふじゃん」なんて戯言は止していただきたいものだ。あれは初代ゴジラからある由緒正しい組織です。
ゴジラが接近してきたときに書類をバサバサ片付けて一目散に逃げる」という伝統芸が引き継がれています。

・シン=真について
あるいはこのようにとらえると、12年ぶりの日本製ゴジラ映画において「真のゴジラを復活させます」ととらえることができる。
とすると2014年のアメリゴジラに対する宣戦布告と言ってもいいだろう。
しかし真のゴジラとは一体何かと考えるとこれが意外と難しい。
ゴジラは、確かに1954年の初代はかなり風刺だったり反原爆のメッセージが込められたものだった。
その一方、その後のゴジラ作品の大多数はほかの怪獣が登場するために
昭和ゴジラ→地球の怪獣をまとめる暴力団組長
平成ゴジラ→なんかめっちゃ怖いし強くて危ないけど結果的に人類を助けてしまう
みたいな扱いになっている。
ゴジラはどさくさに紛れて街を破壊しながらも、毎年毎年日本を襲ってくるいろいろな怪獣をボコボコにしてしまう圧倒的な強者だった。
こういった多様な側面からしっかりエッセンスを抽出して
「ああ、これはたしかにゴジラが帰ってきたんだな」
と思わせるのはきわめて難しい作業になる。

ゴジラ映画はお祭りである
等といろいろなことを考えていたのだが、結局僕の中での結論は

「まっ面白ければいいや」
というものだった。
ぼくの家にある映画パンフレットのとあるページに、こんなインタビューが載っている。
ゴジラという年に一度のお祭りに参加することができて光栄です」
松村邦洋ゴジラVSスペースゴジラ』)

デブタレントとして顔を見たことがない人がいないような彼がこの映画では「仕事中にゴジラを見てびっくりして逃げ出す警官」というちょい役をうれしそうに演じていたのである。
そうゴジラは一年に一度のお祭りなのだ。
大人も子供も一緒に観ることができて、子供たちはゴジラ(やその他の怪獣)の大きさ・強さ・恐ろしさにびっくり。大人は素朴なメッセージを読み取ってしんみり。ゴジラ映画とはそういうものだった。
その本分を果たすためにも、できればあまり複雑なことはせずに単純にデカい!怖い!かっこいい!みたいな流れで攻め込んでほしい、、、とも思っていた。
とはいっても相手はあの意味不映画『ヱヴァQ』を作った庵野である。何が起きるかわかったもんじゃない。
「たのむから単純に面白い、いいものを作ってほしい、てかそれ無理じゃないかな。。。」
結局のところ僕が一番危惧していたのはこの点だった。

以下ほんとにネタバレ全開











観た?































観たよね?
















































~~内容についていろいろ~~
ゴジラが出てこないパートと出てくるパートらへんで区切ってお話を進めていこうと思う。
結局「ここがよかったです」って書いてあるだけで特に深い考察とかはないです。*2

第一幕:大河内内閣劇場

東京湾で謎の爆発事故
・ボートに「ゴジラ」って書いた書類がある
後で出てきた書類だけど、2回目で確認できた。

アクアラインに穴が開いて赤い水?泥水?が落ちてくる
水の色的に一瞬血かな?と思ったけどあれ東京湾の泥とゴジラの体液とかまざるとああいう風になるのかな。
それとも血なのかな。
東京っつったら赤土とへどろが堆積してると思うのでただの土の色だと思ってもいい・・・はず。
てか地下生活が結構な割合を占める東京都民的にあのシーンは結構なトラウマ。
あの車に乗ってた二人(?)は一応助かったみたいだけど・・・
前田敦子が泥だらけだったのであの車に乗ってたのでは?という話をどっかで見た

アクアラインの脱出ルート
モブ「えーこんなふうになってるんだ~(棒読み)」
観客ぼくたち「えーこんなふうになってるんだ~」
ワイ「棒読みすぎだろ・・・大丈夫かこの映画(大丈夫でした)」
会議シーンもそうだけど、全体を通してこういう社会の普段見えない部分が見えるというのもこの手の映画の面白さだよね。

ゴジラの姿を一般人のスマホ?が初めてとらえる
裏設定として、「ここで観測されたためにゴジラは実体化した」みたいな量子力学的なネタないかな。
ないと思うけど。

■本題の内閣劇場
・会議シーン
場所をいろいろと替えながら同じような会議をしているシーンがすごくリアルだった(小並感)。
あと政治家とか役人って無能だよなwwwwwギャハハwwwwww
って言って楽しんでればいいシーンだよな・・・と思いつつも、2回3回と見ていくと
・意外と会議の回数は多くない
・「同じような会議」と言いつつもちゃんと話というか政府の認識は事態の進行とそこまでのラグなく進んでいっている
・つまり内閣の連中はそこまで無能でもなく、むしろ全体としてかなり有能
という感想に変わってきた。
それぞれの会議は各組織のトップが各組織の見解あるいは建前を共有する場として一応ちゃんと機能しており、
※トップ独自の見解など本来は必要ないことに注意
例えば
国交省役人「噴出している成分は水蒸気ですし海底火山の噴火とは考えにくい事象でs」
国交大臣「え、そうなの?なら早く言え!」

っていうのもめっちゃ言い方うざいけど実はすごい正論なのね。大臣が噴出してる成分なんて報告を受けないと知れるわけもないわけで。
さらに「いまここで決めるのか!?」などのおとぼけ発言のせいで無能さが際立って見せられている大河内総理は全体の進行を決める質問をしたり「わかった」とか言うだけ。
これ初見はいかにも無能みたいに思うんだけど、実はこうやって部下の言うことをちゃんと聞いて余計なことをしないというのはリーダーとしてものすごい希少な資質なのね。

・主人公矢口の青さ
逆に後々わかってくるんだけど、かなり序盤のほうで矢口蘭堂
矢口「各省庁ですぐに対策を考えてください」
役人「それ、どこの役所に言ったんですか?」

って返される縦割り行政風刺的なシーン、最初はいかにも役人思考停止wwwwwwwアホwwwwっと思っていた。
んだけど、そのしばらく後に
郡山さん「都民の避難先についてなんとか省となんとか省が連携して協議してくれ」
役人「わかりました」

みたいに、ベテラン政治家が命令を具体的に言うことですんなり通してるシーンがあって、この2つを対比すると役人風刺のシーンというだけではなく「行政のやり方」をわかってない矢口の未熟さを示すシーンだという考え方もできるのね。
そうすると赤坂の
「うぬぼれるな矢口」
というシーンもただ先輩がもっともらしいことを言ってるわけじゃなくて実は割とまっとうな指摘ということがわかってくる。
てことで、上記の会議シーンも含めて何回か見ていると最初の内閣メンバーは実は相当できる人材の集まりであることがわかってきて、そうすると中盤で彼らが皆殺しにされるシーンの絶望感もひとしおということになる。

ただこれはあくまで複数回見たうえでの感想である。

「複数回見てわかってくる」って一発の上映のみに依存した映画作品としては良くないんじゃないかとも思うけれど、最近の映画は基本的に後になってDVDなどで繰り返し見られる媒体が売られるのは当たり前という事情がある。
またシンゴジラの場合は「複数回見ないとつまらない」ではなく、初見の「うわー政府無能だなーwwwあー死んじゃったよーwwww」的見方でも充分楽しめるので、結局あまり問題はない。

・解釈の多さ
こんな感じで会議シーンは見るたびに印象が変わっていって非常に面白い。
これは実写ならではの「それぞれの役者の目線の動き」とか「座り方」とかいろいろなものを含めた情報量によって成り立っているもので、結局会議シーンはこの映画の見せ場なのであった。

・しっぽのシーン
手塚とおる「な、なんなん今のは!?」
大杉漣「しっぽ・・・」
柄本明「ええ、しっぽですね」

矢口はこのとき直前に「原因は巨大不明生物だと思います」って言ったときに「議事録が残るんだ、政府に恥をかかす気か(机ドン)」って言われていたので、「お前たちしっぽって言ってるじゃん。議事録に残るんだが??」って思ってたと思う。
いや会議中断してたし残らないか・・・

■内閣のメンバーについて
ところで第一幕の主人公である内閣メンバーにいろいろと知ってる人や懐かしい人がたくさん出てきて僕はびっくり仰天してしまった。
(キャストが300人以上いるという話は初回を見た後に知った)
てかもう内閣のメンバーを見ただけで「あっこのゴジラちゃんとお祭りやってるな」っていうことがわかってあとはもう安心して観られたようなところがある。
竹野内豊長谷川博己に関しては出番がいろいろあるので略で

手塚とおる「こりゃ大事になりそうだ(震え声)」
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手塚とおるさんは『ガメラ3』において
「ゲームオタクでガメラやイリス(敵怪獣)を利用しようとしてヒロインを誘拐したり嫌味なこと言ったりと色々画策するが大笑いしながら落ちてくる鉄骨に潰されて死ぬ男」
という黒幕だと思ったらギャグキャラでしたという役を演じておられた。
相変わらずの役立たずっぷりを楽しそうに演じておられて最高だった。
ちなみに総理レクとかで隣に座って(この無能と一緒にされるのはやだなあ・・・)と思っていたに違いない花森防衛大臣ガメラ3で手塚とおるさんの相方の色っぽいオバサン(ちなみにこの人もイリスと同化しようとしたがガン無視されてなすすべなく死んだ)を演じていた山咲千里さんによく似ているので一瞬あの役立たずコンビの再現なのかと思ったが後で確認したらメイクが似ているだけで余貴美子さんという全くの別人だった。

柄本明「攻撃は、総理の(チラッ)ご意志で決まります。」
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このおっさんも年取ったなあ
官房長官って「なんちゃら大臣」という肩書が大半を占める内閣において「役なしの副隊長」みたいな位置にいると思うのだがそういう色を(とくに二回目くらいからは)ひしひしと感じて年の功だなあと思った。
さて、この人も平成の怪獣映画好きとしては見逃せない前世(?)を演じている人なのでちょっと紹介。
ゴジラVSスペースゴジラ』では
ゴジラ(※この映画の主人公)を殺すために色々と画策するが全くうまくいかず、色々あって人類側の最終兵器モゲラのパイロットに就任。スペースゴジラを撃墜しに行くつもりの道中で勝手にゴジラ(※主人公です)を爆撃しに向かい、一緒に乗っていた同僚に気絶させられる。その後いろいろあって撃墜されたモゲラの脱出口のドアに足が挟まって抜けなくなり、死にかける男」
という、手塚とおるさんと双璧をなすような「役立たずのおっさん」を演じておられた。

この二人が内閣にいる時点でもう人類側負けただろと思って見ていた。

大杉漣「どうするんだ?上陸しないって言っちゃった後だぞ(半笑い)」
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このシーンが最高にかわいかったし、良かった。
この一幕は後述の通りかなりショッキングで悲劇的な場面に挿入される形で入るので、絶望していた観衆を絶妙におもしろ方面に引き戻してくれる場面でもあり、あるいは当然ながら政府の頼りなさを示唆するシーンでもあり、失言問題をパッと切り替えて次の対策を頑張るしかない!という総理が最初に腹をくくるシーンでもあり、「心が伝わらんだろう!」と非常事態なのに綺麗事を言ってしまう〈言えてしまう〉大河内総理の浮世離れ感あるいは信念を最初に表す、内閣劇場の中でも結構好きなシーンである。
最初いかにもお飾り総理大臣みたいなかんじで「え!?今ここで決めるの!?」とかとぼけていたのが状況が進んでいくにつれてバンバンと決断したり割と熱いことを言ってるのが成長を感じられる・・・とも思えるその一方で二回目か三回目を観てたで、先述のとおり「ああこの人実は最初からかなり有能な人なんだ」という解釈にもなれるというのが楽しい。。
さっき書いた通りで、部下の言うことをちゃんと受け止めて、決断するという、必要十分なことをやっている。
その一方で、
「心が伝わらんだろう」
「市民に銃を向けることはできない」
「私にはここで事態の推移を見届ける義務がある」
などなどの平和ボケ・綺麗事と言ってしまえばそれまでなんだけど、こういう理想論を臆せず言える人でもあり、そういう人が総理になっているあの世界線は地味に結構すごい。
たぶん平常時は平泉成の言う「王道を征き、人徳で治める」という政治家だったんじゃないだろうか。
・・・てな感じで有能と無能、どっちに転んでも最高という多面的な演技というのは実は生半可なことではできないことで、すごいことだと思った(語彙力)。

國村隼「礼はいりません、仕事ですから」
この人は厳密には内閣のメンバーじゃないんだけどまあいいよね。
大杉漣竹野内豊國村隼っていったら『人間の証明』ですよ。
こうなったら松坂慶子も入閣させないといかんでしょうが!松坂慶子を出せ!バーンバーン(机を叩く音)
國村さんはいつもそうなんだけど、顔としてはどっからどう見ても國村隼なのね。一度見たら忘れられない苦虫を噛み潰したようなオッサン顔。
にもかかわらず演じる役柄の肩書そのものに見えるのがホントにすごいよね。
いやまあ内閣の人たちほとんどみんなそうなんだけど、この人の統幕議長っぷりは、最終的に内閣総辞職ビームを食らわなかったおかげで終盤まで「自衛隊のことならこの人」みたいな感じでよかった。

余貴美子
「誘導弾全弾命中しかし目視による損傷、確認できません(半ギレ)」
「あ゛あ゛っ!(机を叩き割る)総理、残念ですがこれまでです(キレているので若干どもる)」

自衛隊が準主人公であるこの映画において実はこの人は準主人公と言っても差し支えない。
途中で死んじゃうあたりも含めてガンダムでいうと強化人間のお姉さん枠とでも思っていいのではないだろうか。

第二幕:上陸しないって言っちゃった後

ゴジラ初上陸~あついから海にもどろ(^ω^)
・第二形態について
ネタバレ抜きで観た人であの初登場シーンで困惑しなかった人はいるのだろうか、いや、いるはずがない(反語)。
あやうく「えっ何これは」て声に出して言いそうになった。
そもそも前段階としてしっぽが海中から出てきたり例の津波に似せて背中だけ見せるシーンで
「なんかしっぽの色うすいな・・・まあ海の中だと印象が変わるのはよくあることだしな」
「っと思っていたらなんか体格も背びれもボートに比べてずいぶんちっさくね・・・100m超え設定だよなスケール間違ってないかこれ」
と思ったり、さらに目玉だけアップのシーンで
「なんか公式のと色ちがくね・・・」
と疑念が膨らんでいってからの
第二形態バーンwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww目んたまギョロギョロwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww(ここで先述の大河内総理「どうするんだ、上陸はないって言っちゃった後だぞ(半笑い)」)wwwwwwwwwwwwwwwwwwwエラから体液ドバッwwwwwwwwバッシャーwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww首ぐねぐねwwwwwwwwwwwしっぽもぐねぐねwwwwwwwwwwドシーンwwwwwwwwwwwwドシーンwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
これら一連のお披露目シーンはどんどんぶち壊されていく”被災地”とさすがにその速度では民主主義的になんの対処も追いついてない政府との間で場面がテンポよく切り替わっていくことも含め、ほんとにトラウマになるんじゃないかというほどの衝撃だった。
しかも、次に述べる事柄と絡めて、弱そうなのに絶望感はこれまでのゴジラ初登場シーンと比べても圧倒的だったと思う。

・一般人の描写について
シンゴジラの感想を見ていると
「政治の話ばかりで一般人の描写がない!(その後にそれがダメ!と言ってるのもだがそれがいい!と言ってるのもよくある)」
とかいうのがよくあるがお前らほんとにシン・ゴジラ見てきた?間違えてポケモンかなんか見てない?と問いたい。
一般人はゴジラ第二形態の侵攻シーン(あと鎌倉再上陸~東京蹂躙のシーンでのチラ見せ)で完全に描きつくされおり、あれ以上の細かい描写は蛇足である。

まず重要なのは「巨大不明生物」が全身をお披露目する前後のシーン。
あの場面は
「一般人が大慌てで逃げている」
からの
「第二形態バーンwwwwwwwwwwwww目んたまギョロギョロwwwwww(略」
という順番になっているのがものっっっっっすごく重要である。
僕たちはほとんどの場合
ゴジラとはこういうお姿で火なんか吐いたりする生物である」
あるいは
シンゴジラにおけるゴジラのビジュアルはコレ」
(ポスターは全部第四形態だったよね)
とかの予備知識を持った状態で映画を見に来ている。
そうすると

「一般人が大慌てで逃げている」
というシーンでは当然、ゴジラが写っていなくても、逃げている相手は「僕たちのよく知ってる黒くてデカくて仁王立ちしてるゴジラ」だと思うわけだ。ゴジラ観に来ているんだから当然だ。

「ああ、まだ見えてないけどやっぱ例の超怖い感じのどでかいゴジラが直立二足歩行でのっしのっしと歩いてるのよね、そりゃ逃げると思うよ怖いもん熱線も吐いてくるだろうからもっと急いで逃げたほうがいいぜ」
みたいなことを想像すると思うのだ(僕は少なくともそうだった)。
しかし!!!!その2秒後くらいに彼らが逃げている対象は実は僕らの知っているゴジラより百万倍も弱そうな

「第二形態バーンwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww目んたまギョ(略」

であるということが鷺巣さんの悲劇的な音楽とともに明らかになる。
つまりあのシーンは

「ああ、まだ見えてないけどやっぱ例の超怖い感じのどでかいゴジラがのっしのっしと歩いてるのよね、そりゃ逃げると思うよ怖いもん」

「えっなにこいつ???この映画ゴジラじゃないのか???めちゃくちゃ弱そうやんけってかあの公式HPにあった画像はなんだったんだ」
という困惑による「観衆のゴジラ先入観のリセット(54年ゴジラの疑似体験)」
・・・に加えて、さらに

「えっこいつらこんな弱そうな怪獣??から逃げてんの?さすがに弱すぎじゃね?」

「そしたら例の予告で出てきた激やばゴジラがもしこの後本当に出て来たらもうあいつらなすすべもなくぶち殺されるじゃん。日本終わったな。」

・・・という絶望感の演出に一役買っているのだ。

あの”弱そうな”生物(実際の物語世界では間違いなく空前絶後の超巨大生物で、そんな感想はナンセンスなのだが)の登場シーンは、この点でとても大きな役割を果たしていたと思う。

実際にこの

「第二形態バーンry」

のシーン以降、一般人の描写はいくらかあるもののそのすべてが基本的に「避難所にいる一般人」と「避難している・逃げている一般人」だけであって、文字通りに何もできない存在として描かれている。
しかしこの「一般人無力描写」について文句を言える一般人はいないと思う。
実際にあんなわけのわからん生き物が道を歩いて来たらそれこそ
「どう見ても自衛隊しか対処できない(迫真)」
「あとは米軍に任せよう(震え声)」
などと思いながら必死に逃げることしかできないだろうから・・・。

・進化するシーン
「すごい・・・まるで進化だ」って明らかに疑似シン化形態やらせてるだろって咆哮シーンに重ねて言わせるのはちょっとこっぱずかしかった
まあいいんだけど!
さらに細かいこと言うとゴジラが口を「ガバッ」と開けるのがCG特有で大変良かった。
着ぐるみ時代のゴジラの口って基本的に蝶番構造だから、あんな感じに開けることできないのよね。

ゴジラ第三形態
かわいい
ゴジラのめんたまは多分形態を通して大きさが変わってないという設定があるっぽいのだが、その観点に立つと

第二形態→目がでかすぎてグロい
第四形態→目が小さいことでスケール感を演出(集中と発散理論)

まあこの2形態はいいとしても、

第三形態→目がくりくりしててかわいい(笑)

とくに自衛隊とのにらみ合い中、ここも遮断機が下りるタイミングが良すぎてゴジラが踏み切り待ちをしているように見える笑
さらに背びれをちらっと見て、
「なんか暑いな・・・帰ろ!」
って言って(言ってないけど)大急ぎで這ってUターンするところとかほんとかわいいよね。
かまり立ちを覚えたけどまだハイハイのほうが早い赤ん坊みたいな感じだ。

・射線上に人がいる射撃の可否を問う
あそこで自衛隊が発砲してたらどうなったんだろうか。
第三形態はまだ皮膚硬くなさそうだからそれなりに効きそうっていうか勝てそう。
あと、まああそこで撃ってしまったら下手するとそこでお話が終わりになってしまうから仕方ないとは思うもののやっぱりこの国の足を引っくぁwせdrftgyふじこlp;@:「」
國村隼統合幕僚長)が「人が残ってますけど射撃始めていいですか?」って若干射撃始めたさそうなトーンで質問してるのも面白い

第三幕:そもそも出世に無縁な霞が関のはぐれ者一匹狼変わり者オタク問題児鼻つまみ者やっかいもの学会の異端児

巨災対結成まで
・「うぬぼれるな矢口」
上述の通り矢口がまだ青いことを比較的明瞭に語っているシーン・・・と思ってもいいし、別に矢口は今の政治にもどかしさを感じている(だめなのは政治)でもどっちの受け取り方もいいだろう。

・合掌
このへんで矢口が割と信心深いというか、死者に対する敬意をちゃんと示す人であるということがわかる。
終盤では「目をぐっとつぶるだけ」になってるところであの場面の必死さも伝わってくる感じになる。

・声に出して読みたい日本語「首を斜めに振らない連中」
首を斜めに振ってるやついないけどねこの映画。全員有能。

・会議室をみんなで大改造のシーン
なんでかしらないけど、会議のためのレイアウトって参加者がその場でみんなでやるのがいいのよね、机の配置とか。
真ん中にバーンと紙を広げて置けるスペースがあるのは間准教授のド下手プレゼンを見るためでみんな必要ねえよって思ってたらいいな。。

巨災対が結成された瞬間突然露骨になるエヴァオマージュ
まあこれはいいだろう(
ここからしばらく人間しか出てこないんだけど、いかにもエヴァっぽい登場人物やBGMのおかげで息抜きとしてなかなか楽しめた。
というかここまで露骨にエヴァっぽさに振り切った演出をしてくるのがいくらなんでも逆に予想外で(それまでのエヴァっぽさって明朝体字幕と吹っ飛んでる京急が二号機の腸に見えるくらいだったし)楽しかった。

■たのしい巨災対の仲間たち
※名前を知ってる俳優が野間口さんくらいしかいなかったのでパンフ見ながら書いてます
市川実日子「良かった・・・」
このお方の演じる尾頭課長補佐の良さに関しては論ずるまでもないだろう。
アスカより綾波派な私としてはその良さに終始にやにやしっぱなしであった

高橋一生「ごめんなさい(早口)」
わかりやすい箸休めをいろいろやってくれるけど何回か見てると終盤も現地に赴いたりしてて偉いんだよなこの人。

塚本晋也「ひえてないんだ」「おりがみ」「たべてないんだ」
彼が手をパンってやるとどんどんゴジラの謎が解けていく錬金術師あるいは毛利小五郎のようなオッサン。
この人パソコン使ってるシーンあったっけ?ということである。
※ちなみに感想を読んでいて気付いたが松尾諭もパソコンを支給されているのに一切使っていない。
学会(学界?)の異端児らしいけどパソコンが使えないせいで学会発表出禁にされてるとか論文がまるで出てなくていまだに准教授とかありそう。
(いや准教授も充分すごいんだけどね)
あのクソ下手な殴り書きでポスター発表とかしてる気がする。

黒田大輔「これww大発見ですよwwゴジラでしたっけww」「ごごでづがう゛んですか!!」
なんか常に半笑いでしゃべってるところとか根の深いオタクなんだけどものすごいいいやつ感が漂っていて好き。
出番は少ないが巨災対人物名鑑の中でもかなり好き。(二回言いました)

カヨコ・アン・パタースンについて
・いきなり日本語をしゃべるな。
政治家同士の公式な会合というのは母国語同士で行い、相互に通訳がつく、というのが基本である。
人材が明らかに足りなくなる後半はともかく、前半は民主主義政治のまだるっこしさを見せつけるのがその本領なのだから例えば最初の自己紹介あたりで通訳を通してしゃべり、カヨコが「めんどくさいから日本語でしゃべらない?」みたいな感じで映画のノリに持っていくっていう感じがあるとよりよかった気がする。
まあ些細な不満だし尺の問題というものがあるから仕方ないか。それとも矢口VSカヨコくらいの職業階級だと通訳ってなくてもいいもんなのかもしれない。

・なぜ石原さとみなのか
ライコウさんの好きな(?)トリバゴの姉貴とか滝川クリステルとかもっと外人でーすって感じの人にやらせてもよかったと思うのだが、東洋人っぽい顔して外国の血が入ってるみたいなのはアニメ的表現でいいのかね。

・英語について
アメリカ英語(日本人にとって聞き取りやすい)をちゃんと喋っていたので、逆にそのせいでルー大柴とか叩かれてしまうのは若干不憫。
(いうて僕自身初見ではなんやこいつ・・・って割と思ったけどね)

第四幕:ドキュメント内閣総辞職

ゴジラの巨大表現のすばらしさ
鎌倉再上陸からタバ作戦失敗に至る一連のシーンでは新ゴジラの巨大さを表現するために、これまでの特撮ではなかなかできなかった表現がふんだんに使われているのでそのへんの良さを少し紹介したいと思う。

・上陸するシーンの水しぶき
ゴジラは海を歩いてやってくる。
・・・わけだが、そのとき足元に立っている水しぶき(波)が一度立ってから落ちるまでかなりな時間がかかるため、遠景だとまるで止まっているように見える。
これは物理法則的に当然のことなのだが、これを特撮でその通り表現するのは実はかなり難しい、「東宝のデカプール+きぐるみ」という過去の名物的な水上シーン撮影手法だとああいう表現は絶対にできなかったのである。
水しぶきが落ちる時間を操るには映像をスロー再生するくらいしか方法がないからだ。(でもそうするとしぶきが立ち上がる瞬間がゆっくりになってしまうから絶対にうまくいかない)

・市街地縦断シーンで吹き飛んでる家
これまでの特撮ゴジラは基本的に家屋を「踏みつぶす」あるいは「なぎ倒す」という動きが主体だった。
なぜかというと特撮に使われたミニチュアセットには床があったからである。
しかし、よりリアルに怪獣の動きを考えた場合、「床」というものは本来成立しない(怪獣が床を破るくらい重いため)。
で、本来のゴジラは体がでかくて重いので足を置くとバリバリメキメキと足がめり込み、そこから足を持ち上げると雪をかき分けて歩く要領でバアアーーンと瓦礫が吹っ飛んでいく、はずである。
そしてシンゴジラではそれを実際に忠実に再現して家屋や自動車が土砂とともに「掻き分けられ」、いっぺんに10軒くらい吹っ飛んでいくカットがあるのだ!!!
一瞬ながら個人的に大好きな場面である。

・タバ作戦での耐久力表現
火力をどんどん上げていくことでゴジラの硬さ、自衛隊の命中精度をわかりやすく示しているシーン。
このシーンは映像の作りに加えて音響が素晴らしい。
カメラ位置をゴジラにめっちゃ近い位置に置いて、銃弾や砲弾が硬い表皮にぶち当たっていく「ガァンガァンガァン!!!!」っていう鋭い金属音を入れているんだけど、こういう表現も実はCG特撮特有のもので素晴らしい。
着ぐるみ特撮でほんとに火薬を使ったらあんな爆発に近いところで撮影できない。
自衛隊の弾丸が全部命中している件だが、これもゴジラの巨大感演出のために重要だったけれど今まではなかなかやりにくかった手法である(着ぐるみにしろギニョールにしろ結構精密な機械だからね)。
さらに
「火力をどんどん上げていってもほとんど動じないゴジラ
っていうのもCGだからこそできる表現(さすがに人間の入った着ぐるみの頭のところで花火を何発もボンボンやったら多少はよろけるでしょ)で、非常にかっこいい。
とにかくかっこいいのよ・・・

ゴジラを下から見上げる各種場面
これも着ぐるみだとなかなかできなくてですねry
でも平成ガメラシリーズだとなんか特殊な撮影方法で実現してるらしいですよ。
平成ガメラはきぐるみ特有のコミカルさや題材の若干の子供っぽさはあるものの自衛隊もかっこいいしガメラもかっこいい、しかもゴジラでは基本不可能な空中戦がふんだんに出てくるのでお勧めである。


放射能熱線
まあ全体として観ると非常にショッキングな発射方法で映像的な驚きも素晴らしいのだが実はそれぞれのパーツを見ていくと過去作で見たこれ!っていうののてんこ盛りが新しいシーンを作っておりとても楽しく見ることができる。
やっぱ中盤最高潮のシーンだよね。

・下顎くぱぁについて
ゴジラはあんなキモイ顔しない!シンゴジラのスタッフすげえ!
となった人もいるかもしれないけどあのギミック普通にゴジラ2000(1999年公開)の没案です。さようなら。
たぶん着ぐるみだとうまくいかないからお蔵入りになってたんじゃないかという気がする。

・背中からビームの件について
ゴジラはあんな小細工しない!!とお嘆きの皆さま。
あれは忘れもしないデストロイアとの最終決戦のとき、ゴジラはもっと意味不明なビームカッター的ビーム(語彙力なし)を無意識に繰り出して相手に致命傷を負わせています。対戦ありがとうございました。
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ゴジラにとって放射能(熱線)は基本的にはただの排泄物に過ぎないのであり、デスゴジの例のシーンも今回のシーンも、結局背中からビームは背中にめっちゃ硬くて痛いの刺さってつらいなあと焦るゴジラの背中から流れ出る脂汗みたいなもん(ゴジラ自身ではとくに制御していない)と解釈していいと思います。てかそういう解釈をできる感じの描写でよかった。
(さらにちなむとガメラは体内ではなく、周囲の高濃度酸素を活かした「技」としてプラズマ火球を繰り出します)

・準備段階ですでにヤバい
あ!これガメラ2で出てきたやつだ!
ちなみにガメラ2だと前述のとおり身の回りの高濃度酸素を取り込むためにガメラは「思いっきり深呼吸する」んですね。そのとき台風並みの突風が吹いて主人公たちが吹っ飛ばされかけるお笑いシーンがあるのですがシンゴジラのヤバいところは「息を吸う」という段階が一切なく、徹頭徹尾最初から最後まで息を吐き続けたところでありましょう。
「オエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエwwwwwwwwwwwwwwwww(口から出るガス?でものすごい風が周辺に吹き出ていく)------アアアアアアーーーーーーーーーーーーーーーーーwwwwww(そのガスが発火)wwwwwwwwwwwwwww----ーーーーーーーヒィィィィィィィィーーーーーーwwwwwwwwwwwwーーーーーーーーーーンwwwwwwwwww(息が細くなりすぎてビームになる)wwwwwwwwwwドオオオオオオオオーーーーーーンwwwww(米軍B-2ニキ、死亡)」

←これらの現象が起きてる間ゴジラは息を吐きっぱなし

ゴジラの肺活量ヤバいな・・・

・街を焼き払うゴジラ
僕くらいの年齢だとドストレートに思い出すのはゴジラ2000のラストシーンなんだけど、世代によってどうなんでしょう
あの映画も基本的にゴジラは人類の敵として描かれており(敵キャラの宇宙人もいたものの基本的にゴジラの生命力にまるで歯が立たない雑魚扱い)、ゴジラが東京の街を焼き払っているシーンで終わっていた。

・活動休止寸前
あそこだけ急に狂言師の動きになってた

第五幕:覇道より王道

正直、ゴジラが休止したあたりをピークにしてその後の人間シーンは若干長すぎた感はある。
細かい面白描写はあるんだけど先述のまぁまぁ有能な前内閣が登場しないこともあり若干退屈だった。
一応かいつまんで好きな場面とかの紹介はするか。

■臨時内閣
平泉成
英語できない描写(米国大統領との電話会談シーン)があると、最終局面でフランス大使(?)に頭下げてる場面も何かぐっとくるね。
たぶん最初は間違いなく通訳をとおしてすべてのコミュニケーションをしていたんだけど「ここは態度で示さないとな」って思う場面があったんだろう。

第六幕:ありがとう・・・ご苦労でした。

■決戦シーンが真っ昼間
これCG特撮業界だと結構すごくて、CG使った日中の描写って夜と比べてかなり粗が目立って難しいのね。
(例えば2014ゴジラゴジラ登場シーンはほとんどすべてが夜。ゴジラ見づれえええええええ)
正直中盤の内閣総辞職ビームあたりと比べてさすがに見劣りする感じだったけど、まあしょうがない。
最終的にゴジラが仁王立ちで終わる画の映え方を考えても日中という判断が一番良かっただろう


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~~以下、2019年の追記~~
2016年の原稿はここで終わっていた。
多分長々と書きすぎて疲れたか飽きたんだろう。
ヤシオリ作戦も大変に楽しいし迫力もあるし米軍と新幹線と在来線と特殊車両とビルと書類と複合機が総力を挙げてゴジラを叩きのめす最高な作戦なのでそのうち語るかもしれない。
シンゴジラ以降(厳密には2014年のアメリカ版ゴジラ以降)、三部作かつ史上初の試みだったアニメ版ゴジラ、今年公開され、往年の人気怪獣が大暴れしたたキング・オブ・モンスターズなどが立て続けに公開され、ゴジラ映画の止まっていた時計は再び動き出した。来年はアメリカ版のゴジラキングコングが予定されている。
ほぼ年一のペースでゴジラ映画が見られるというのは僕にとって久しぶりのことで大変幸せである。

*1:最終的には映画館に10回ほど行ったと思う

*2:考察と呼べる行為ができるのはこの映画だとせいぜいラストシーンの解釈くらいだと思うけどそれに関しては 岡田斗司夫の見解にだいたい納得している。 岡田斗司夫ゼミ8月18日号 終戦記念『シン・ゴジラ』特集、『ゴジラと核兵器』全編無料公開! - YouTube ※この考察は 閣僚「なんでまたこっちに来るんだ!(机ドン)」 という疑問にも答えていたりして単純ながらよくできていると思う。ゴジラの眼についての解釈は違うと思うけど。銀色のあれは自衛隊の爆弾落とされたときも使ってたし防護膜でしょ